私がF1中継を本格的に見るようになったんは、1987年からなので、
その前年の話ですね。
(ってF1全戦フジテレビで中継が始まったのが1987年からですから、
見ようにも見れなかったんもありますが・・・)
1987年は、1986年と比べて、日本でのF1人気に大きな違いがあったんですよ。
まず、中嶋悟がF1フル参戦ドライバーとしてロータス・ホンダのシートを獲得。
そして、鈴鹿サーキットでの日本GPの開催。
あと、上に挙げたように、テレビ放映が全戦されるようになりました。
それが1987年という年やったんです。
私自身の環境の違いも大きかった。
ちょうど車の免許をとったのが1987年でした。
俄然、車に対する興味が高まったんですよ。
なので、1986年のレース展開は、実際にリアルに見たわけではありません。
その中、一番強かったマシンがこちらです。

ウィリアムズ・ホンダFW11です。
この年のコンストラクターズタイトルを獲得した車ですね。
このレッド5のカーナンバー。

これを見て、誰が乗っていたか分かれば、
F1ブームの時代に、よくF1観戦されていた方でしょうね。
ナイジェル・マンセルの乗っていたマシンです。
ホンダのこのV6ターボエンジンは、この時代最強でした。

ツインリンクもてぎのホンダコレクションホールで見たんですけど、
このマシン、今にも火を点れると動き出しそう(^^)
今見ても、古臭さを感じず、速そうですもんね。

その見た目通りで、チャンピオン争いを、ピケとマンセルの2人が演じ、
そこを漁夫の利って形で、マクラーレンのアラン・プロストが、
その頭脳作戦によって奪い取ったのが、この年のチャンピオン争いでした。
マンセルは最終戦まではポイントリードで迎えたんですが、
このオーストラリアGPを、タイヤバーストでリタイヤするんですね。
そして、プロストがチャンピオンに輝くわけです。
そして、私が見始めたF1の年に繋がっていくんやな~
この当時、ホンダの車は見てて特別な存在やったと思います。
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