毎週土曜に、テイクアウトグルメ記事と併用不定期にアップしてきたF1記事。
今回で最終回となります。
しかし、フォーミュラマシンでも、最後はF1カーではありません。
アメリカのインディで使用されたマシンになります。
こちらは、「パノス Gフォース GF09B Honda」。

2004年のインディ500で、ホンダが初勝利を飾ったマシンです。
インディって開催当初はCARTに比べマイナーなカテゴリーであったが、
ホンダ、トヨタが揃ってCARTよりIRLへ移行してからは、
それまでの有力CART参戦ドライバー、チームもCARTからインディに移籍しました。
そして現在に渡るまで、アメリカモータースポーツのトップカテゴリに、
君臨しております。
こちらは、「Honda H15R」。

2005年の年間17戦のうち12勝を挙げた、とても強力なマシンでした。
で、こうしてインディの記事をいかにも知ったかぶりをして書いてますけど、
はっきり言いまして、あまり興味なく、ちゃんと見たことありません(^^;)
すいません。
なので、あとは、私の知ってるインディの話題のみに絞ります。

2016年現在もインディで走ってる日本人ドライバーをご存じでしょうか?
その名は佐藤琢磨。
F1ドライバーでもあったので、誰でも知ってるレーサーですね。
スーパーアグリでF1キャリアを終えた彼は、その後2010年、インディに転向しました。
彼のインディキャリアでの一番の見せ場は、2012年のインディ500でしたね。
2位を走行していた佐藤琢磨は、ファイナルラップで、
果敢にトップを走るダリオ・フランキッティにオーバーテイクを仕掛けます。
歴史あるインディ500で、最後、表彰台2位をキープするよりも、
優勝を狙ったファイティングスピリットは、佐藤琢磨がF1時代から持ってた気質です。
しかし、それは誰の目から見ても無謀でしたね。
F1時代の佐藤琢磨はずっと追っかけてチェックしておりましたが、
速いけどミスの多いドライバーってのが私の主観。
その愚かさが顕著に現れたのが、この年のインディ500でした。
そして2013年のロングビーチ市街地特設コース・・・
インディで初優勝を成し遂げるんですよ。
F1では3位表彰台が最高位でしたけど、インディでトップに輝きました。
ようやく実が実ったなって、私も感慨深いレースで、翌日録画を見た記憶があります。
その後はインディで勝利は挙げてませんが、歴代日本人ドライバーの中では、
イギリスF3でのシリーズチャンピオン、マカオF3での優勝、インディでの優勝、
そしてF1で3位表彰台という、海外レースで一番輝かしい成績を誇っております。
私自身これからも、佐藤琢磨というレースドライバーは、
いつまでも応援していきたいですね。
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2007年シーズンのホンダは低迷しました。
昨年型のマシンを改良したスーパーアグリの方が速いという体たらく。
そのマシンを大幅にモディファイしたのがこの「ホンダRA108」です。

マシンのカラーリングは地球をモチーフにされており、
ホンダという会社のエコに対する姿勢が窺えます。
しかし、このマシンも全然ダメでした。

空力設計者がその設計思想を固めるのが遅かったんですよね。
それによって、このマシンのシーズン中の改良は諦め、
次年度(2009年)にリリースするRA109の開発に、ホンダは力を入れます。
ただ、ホンダは2008年いっぱいでの、F1からの撤退発表します。

チーム代表のロス・ブラウンがそのままチームを引き継ぐこととなり、
ブラウンGPが発足。
そしてマシンもホンダが開発したRA109をそのまま使い、
BGP001という名のシャシーで戦いました。
そしたらこのマシンがシーズン前のテストから、ダントツに速かったんです。
そして、ジェンソン・バトンがチャンピオンに、
コンストラクターズチャンピオンも獲得し、2冠を達成するんですな~
なんともはや、もったいない・・・
我慢して、もう1年、ホンダがF1を続けていれば、
オールホンダでの、ダブルタイトル獲得の偉業が見られたかもしれないんですよ。
とまあ、翌年(2009年)の話が中心になっちゃいましたが、
現在のマクラーレンホンダでの苦戦を見てる
(と言っても今年からはフジテレビもCS有料放送のみになって見てませんけど)と、
あの第2期のマクラレーンホンダを知ってる私には、がっかりもんです。
第4期・・・またホンダが強くなると、有料でもF1見るようになるかな?
(F1にステップアップが期待できる日本人ドライバーも皆無やしな~)
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前年の1989年に、ターボエンジンが廃止となり、
全チームが自然吸気のエンジンとなりました。
ホンダも3リッターのV10エンジンを開発し、
そのパワーはターボ時代と劣らず、他チームを圧倒しておりましたね。
そして、1990年、セナはマクラーレンに残留し、プロストに変わり、
新たにベルガーがチームメイトとなります。

その1990年にこの年を通じて使われたのが、この「MP4/5B」です。
基本設計は前年のMP4/5と一緒で改良型ですね。
ホンダエンジンの力強さに頼って、
マクラーレンはシャシーの開発に手を抜いちゃったんよな。
しかし、強かった。

この年もマクラーレンは、ドライバー、コンストラクター共に、
チャンピオンを獲得。
けど後味の悪い、チャンピオンの決定でしたね。
この年、一番印象に残ったレースは、日本GP鈴鹿でした。
マクラーレンのセナと、フェラーリのプロストのチャンピオン争いでしたけど、
スタート直後の1コーナーで、セナとプロストが接触してリタイヤ。
まるで、前年1989年の鈴鹿シケインで絡んだ2人を再現しているかのようでした。
そして、ベネトン勢がワンツーでフィニッシュ、
鈴木亜久里が3位表彰台にのぼります。
マクラーレン・ホンダの独走的な速さは、もう陰りが見え始めてましたね。

翌年の1991年はかろうじてセナの腕で、ウィリアムズのマンセルとの争いの結果、
チャンピオンは獲得しますけど、1993年にはホンダはF1から撤退。
マクラーレンは非力なエンジンになると、見る影もないくらいに遅いマシンとなりました。
(しかしセナの天才的なドライビングで、見た目は補われてましたけどね)
その後、ウィリアムズルノーの時代となり、
マンセル、プロストが連続でチャンピオンを獲得し、
セナはようやく1994年にその強いマシンを手に入れるわけですが、
サンマリノでの悲劇は、往年のF1ファンなら誰でもご存じのとおりです。
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